何かうまくいかないと事があるとき、我々は自分の中にその原因を見つけようとします。自分が納得する原因を。うまくいかないことがあるたびに「○○が出来ないからだ」と自分に欠けているものや足りないもを何とかしようとしていきます。そうして完璧主義へとなっていくものです。ですが、あなたが納得したその原因が本当にうまくいかないことの原因なのでしょうか? 「思い込みの罠」には注意してください。少なとも何度も挑戦してうまくいかなかったなら、無理せず一度、別の原因を探ってみてはいかがでしょうか? よく言いますよね一人で考えずに「人の意見を聞く」ことは大切です。
Suiさん
「人に対する思いやりの気持ちが持てない。持ちたくない。」
最近、私の他者を思いやって行ったつもりの行動はすべて真の意味で相手を思いやったものではないことに気づきました。
相手を思いやる(風)の行動をする理由は
・その行動で自分が損をしないから
・その行動で自分が得をする(可能性が高い)から
のうちのどれかであることに気づきました。私は心の通った友人がほしいと切望しています。ですが友人などできるわけ無いだろうと感じています。こんな自分だから友人やパートナーができないのだろうと思うのです。私であれば、思いやりの無い人、思いやりではなく打算で動いている人と仲良くなりたいとは思いませんから。
が、それを直そうとしてもうまくいきません。
ほんとうの意味での思いやりを持って行動しようと意気込んで行動しても、どこか苦しくなるのです。「私はこれだけやったのに、貴方は何も返してくれないじゃないか」とか、
「私ばかりしんどい思い(思いやり)をしてる」などと感じてしまうのです。つまりは心のどこかで相手への思いやりが相手への奉仕、相手に対する一方的な提供
のように思ってしまい、自分ばかりが搾取されているという気持ちが拭えないのです。
でも、それを抑えて思いやりを持たなければ人はついてこないとは思います。どうすれば無理なく他者への思いやりの気持ちを持てる(そして友人ができるようになる)のでしょうか?
Suiさん、こんにちは。
かかりつけカウンセラーの伊藤です。
友人やパートナーが出来ないのは「自分には思いやりがないからだ」
だから、無理なく思いやりの気持ちを持てるにはどうしたらいいのか?とそういうリクエストですね。
承知いたしました。
伊藤なりの回答が参考になれば幸いです。
答えを探しても答えが見つからないとき、誤った「思い込み」がある
Suiさんは思いやりの気持ちを持ちたい理由は友人が欲しいから(?)でも、タイトルでは(思いやりの気持ち)持ちたくない、ともあります。持とう、と努力すると苦しいのですね。相反する気持ちが共存すると苦しいですよね。
Suiさんにとって、友人やパートナーが出来ない理由を探した結果、一番ご自分が納得できる答えが「私には思いやりがないから」なのですね。
何かに悩み、いくら答えを探しても答えが見つからないとき、誤った「思い込み」があるものです。その場合は①まずその思い込みが何かに気づくこと ②その思い込みを解消し、正しく認識すること
この2つに取り組むことで悩んでいた状況は改善していきます。
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勘違い(思い込み)①伊藤は世の中みんな損得で動いているように思っています。
というより、損得勘定が主たる動機で、時々または稀に、神様のように無償の気持ちで動けるくらいです。なので、Suiさんが特別に思いやりの気持ちがない人ではない、とうことです。
勘違い②思いやりの気持ちが持てない、というのは勘違いでは?
伊藤にはSuiさんが思いやりのない人には思えません。なぜならSuiさんは相手への奉仕、一方的な提供、と思えるくらい他者に与えてきた人だからです。(そこに多少の損得勘定がついてきてもSuiさんがしてきた行動に変わりはありませんよ)
勘違い③友達、パートナーや友人が出来ない理由は思いやりがない、からではない。伊藤は「聖人君主」なる人と一度も出逢ったことがないからです。ですが、友達はいますので、損得勘定で動くこと、と友人が出来ないことに因果関係はないはずです。
我々は自分に課しているルールを無意識で他人にも課しているものです
Suiさんがご自分をそのようにみているということは、Suiさんはおそらく他人のことも、この人は思いやりがない、搾取する人、という疑いの目で見ているのではないですか? そんな気持ちが強いと無意識にそんな目、そんな態度で他者に接していると思われます。
だとしたら、他者はSuiさんのことをどうように見るでしょうか?
怪訝な目で相手を見ると、その相手はあなたのことをどう思うでしょうか?
「なんか私悪いことした?」「なんであいつ俺のことそんなに疑うように見てくるんだ?」とあなたに対して、怪訝な目で向けてくるのではないでしょうか?
どちらが先か、の問題ではなく、自分が懐疑的な目(心)で相手をみると、相手にも懐疑的に見られているように自分が感じる(投影の法則)ということです。
モテる人、人気者、という人は「聖人」とは真逆の人?
私は真の意味で思いやりを持てていないです、と誰かに話すと、聞いたその相手は「真の意味」って、、、そんな「真の」なんて言われたら私だって自信ないわよ、私だって損得で動いているし、、、と多くの人は思うのではないでしょうか。
そして損得で動くことをあなたが嫌っている(聖人を求めている)と知った多くの相手は、私はあなたといても責められる、嫌われる、と感じてしまうかもしれません。(もちろんあなたにはそんな気がないのはわかっています)
完璧(聖人)でいようとする姿は、すごいな、羨ましいな、と思う反面で、近づきがたい、親しみが持ちづらい、と相手に感じてしまうものです。 なぜなら人は自分は完璧ではないことを知っていますし、完璧を目指すことはしんどい、適度に楽したいとも思っているものですから。モテる人や友人の多い人はたいてい相手に心地よさ、緩さ、楽さ、を感じさせているものですが、そういう人ほど「完璧」からはほど多い人だったりします。
「心地の良さ」は力まず、リラックスしている状態から感じることが出来ます。
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Suiさんが無理なく他者への思いやりの気持ちを持てる(そして友人ができるようになる)には、無理せず、意気込んだりせず、頑張らず、気にしない、ゆるキャラみたいな人をモデルにするといいかもしれませんね。
思いやりの気持ちは既にお持ちです、それは伊藤が保証します。
Suiさんが思いやりがどうのこうのと気にしていると、相手はSuiさんといるとに疲れてしまいます。もうお気にするのはお止めになってくださいね。
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「真の意味で」「心の通った」「本当の意味で」「意気込んで」 とSuiさんが真面目に取り組めば取り組むほど、私はこれだけやった、自分ばかりしんどい、搾取される、と無意識的に心の中で「取引」が発生してしまい、Suiさんは知らぬ間に「見返り」を求めるようになっています。「見返り」がないと搾取されたかのように被害者意識となって表出してきます。その見返りのことをSuiさんは「損得」として、良くないもののように捉えているようです。
思いやりを持たねば、と頑張って、そんな損得勘定を拭おうとしても、抑えようとしても、それは苦しさを増すだけです。
「無理」をしないでください。「無理」は逆効果です。
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損得で考えることを否定せず、肯定して欲しいです。
損得勘定を肯定して、Suiさんの言動がどのようになっていくかはわかりませんが、うまくいかないことも含め、経験をしていくことよりほかないです。ただ言えることは、今のそのお悩みは軽減され、お友達やパートナーが出来る確率はうんと上がるということです。なにより、Suiさんが開放感を味わえるでしょう。
なぜ、Suiさんがそのような勘違い(思い込み)をされるようになったのか、理由はあると思います。もしその理由から知りたい、と興味がある場合、それは少し痛みを生じるかもしれません。その時はお一人ではなく、誰かを頼るようにしてくださいね。良かったら、どうぞカウンセリングをご利用してみて下さいね。
今回の回答は以上です。
ご相談、ありがとうございました。

自分の中に問題の原因を探すとき、当然自分が納得するものを原因とします。「自分が納得するもの」とは、たいてい自分が苦手なものや嫌いなもの、避けているものや合わないもの...です。 それらを何とか自分のものにしようと頑張るものですが、なかなかうまくは行きません。仮に自分が苦手なことを頑張って続けて、うまくいったとしても、その結果は自分が頑張り続けることが前提なので、頑張り続けなくてはいけないことを意味します。現実的に継続は厳しくなってきますよね。問題の原因を自分の中で探すとき「思い込みの罠」が生じやすいです。どうかみなさんはそんな罠にはまらないようにそんなときは誰かを頼ってくださいね。客観的な目線さえがあれば、罠にはまることもないかと思います。
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