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【ご相談】「話を聞いてもらえない」という被害者意識

「ふとした気付きで人生が変わる」被害者意識から抜け出すヒントは「抜け出したい」と思えば、ふと降りてくるものです。そして、その気付きは、あなたの世界を開きます。 サチさんがふと「聞いてもらえてない」のではなくて、「自分が聞いてって言えてない」のでは、ということに気付きました。世界がかなり開けるのではないかと思った。とありますが、そうですね、世界は開けます、伊藤も賛同致します。

サチさん
「話を聞いてもらえない」という被害者意識

こんにちは。私はアラフォーで典型的な自立系武闘派女子です。今日は「話を聞いてもらえない」と感じやすいことについて、相談させてください。仕事や友達付き合いなどの人間関係で自分が相手の話を聞く方が多い関係性に敏感です。
「あ、私は今、話を聞いてもらえていない、精神的に搾取されている」と感じやすいです。反動で、逆に聞いてくれるタイプの人に自分がたくさん話をしてしまって自己嫌悪になることがあります。また、SNSなど特定の誰か宛てにしなくていいものについては自分のことを語りがちです。

この背景には、両親との関係性が背後にあると思います。幼いころは祖父母と同居していて、長女でしたし祖父母にはたくさん話を聞いてもらった記憶がありますが、父は仕事が忙しいうえに休みの曜日も不定期だったので、進学のこと以外はあまり話をしてきませんでした。
母については、人の相談に乗るという経験をあまりしてこなかったのか、悩んでいても嬉しい対応をされた記憶があまりなく逆に母が不安になっているのを押し付けられたりして、何かあっても相談する対象ではなかったです。私が思春期に落ち込んだりした時には「そういうのやめてちょうだい」とも言われました。

聞いても自分が気の利いたことを言えないかもしれないという恐れからか、自分ばかり喋って私に何かを問いかけてくることがほとんどありません。唯一してくれるのが体調の心配だったので、子供の頃は体調を崩すことで母の愛情をもらおうとするところがありました。今はそれすらも嫌になって、逆に病気になることを望まれてるような気すらしてきました。
もちろんこの歳になった今も「話を聞いてもらえていない」と感じます。

このような感じなので、人間関係が一方方向になりやすいです。
「助けてくれる人」「助けてもらおうとしてくる人」というのが私の中で分類されています。
持ちつ持たれつ、みたいなことができないので、搾取してくる気配を感じると関係を切ってしまいがちです。

ここまで読んで気になられているかと思いますが、夫のことも「相談できない対象」と思っています。

また、新しい人間関係を作るのにすごく警戒心が強くなってしまいます。
人あたりは良い方なのですが、人との精神的な壁は厚いなと感じます。

SNSで交流がうまくできたほうが仕事上メリットがあるのですがネット上でも殻にこもりがちで、公開しているのに独り言アカウントみたいになります。一応、人に読まれている前提で文章は考えているのですが、絡みにくいみたいで。

で、先日ふと「聞いてもらえない」のではなくて「自分が聞いてって言えてない」のでは、ということに気付きました。ということは、自分が上手に「ちょっと聞いて」って主張することができるようになったら
世界がかなり開けるのではないか
と思って、ここにご相談させていただいた次第です。

アドバイス頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。


サチさん、こんにちは。かかりつけカウンセラーの伊藤です。
よろしくお願いします。
今回は被害者意識から「ふと、自分が・・・」「世界が開ける」と感じられていることを前提に回答していきますね。

サチさんが聞き手になることが多い、というのは確かにご家族との関係性により、そうなったのかもしれませんね。お母様の影響もあってか「相談する」ということを控える、諦める、ようになったのかもしれません。

ただ「搾取されている」と感じるのようになったのはどうでしょうか?

聞くことで搾取されていると感じたり、疲れたりしすぎると、私自身は無意識的に話す側に立つことを避けます。私の話を聴いてもらって、相手に私みたいに嫌な思いをさせたくないと思うから、です。サチさん自身が「反動で逆に聞いてくれるタイプの人に自分がたくさん話をしてしまって自己嫌悪になることがあります」と思われているとおりですね。自己嫌悪にまでなってしまうということは自分が搾取してしまった、と感じている度合いが強い、ということです。 でも「私だって搾取されたんだから、たまには私だった搾取するわよ、それくらい当然でしょ」とならないところはサチさんの素敵なところですね。

「話を聴いてくれる人」たくさんいれば良いですが、ほとんどの人はそんなに多くはいないじゃないでしょうか?(友達がいる、いない問題に似ていますね)

「たくさん」をもとめると「誰もいない」と余計に孤独や寂しさを感じやすくなりますが、実際は一人か二人、いれば良いのだと思います。それがパートナーであったり、家族であったり、身近なところに一人いるだけで満たされることは多いです。

サチさん場合はその役をご主人とお母様に求められているご様子ですね。

そのお二人にサチさんは期待したのですが、応えてくれる様子がない、ことが今回のお悩みの確信的な部分かと思われます。

「聞いて欲しい」というのはその意味の中に「わかって欲しいことがある」ということです。

何かお二人に聞いて欲しいこと、わかって欲しいこと、があるのではないのではないでしょうか?

聞いて欲しいけど、聞かれたくないこともある、と異なった2つの意識の存在が内側にある

話す側になる場合に一つは先ほど言いました「反動」が邪魔になるケースと、もう一つは聞いて欲しいけど、聞かれたくないこともある、と異なった2つの意識の存在が内側にあることです。

これは聞いて欲しいけど、これを聞いてもらったら、あっちのことも聞かれるかもしれない、あっちのことはあなたには知られたくない、とか...

例えば、さっき上司に怒られた、でも実は私のミスではなくてAさんのミスを私がかばってしまったから、私がミスしたんじゃない!誰か聞いてー!と思っていたとしても、以前Aさんと付き合っていたことを周囲に隠していたとしたら、、、どうでしょうか? 誰か聞いてーと言いたくても、以前のこととはいえ、付き合っていたことがバレるのは、なんとなく嫌でAさん事は話しづらい、なんてことはあり得ますよね。(ちょっと例えが悪いかな…笑)

「ダブルメッセージ」というものです。1つの事柄に2つの相反する気持ちが存在してしまうことです。

(皆なんもそんな気持ちを持ったことありません?)

自分のことを話さなすぎる、とあなたのことを知る人が周りにいなくなってしまう

ここでダブルメッセージが出てくるとしたら、サチさんは周囲に対して隠し事が多い、ということが言えます。 (隠し事、といっても必ずしも後ろめたいという意味ばかりではありませんが)  理由はともあれ、サチさんが自分のことを話さなすぎる、とあなたのことを知る人が周りにいなくなってしまう、ということです。

親近感の感じやすいに人の特徴なんですが「自分のことをよく話す」ということがあります。 こちらが聞いてもいないのに「私、先週、高級なお寿司食べたんだー、めっちゃ美味しかったー、私お寿司大好物!」「私、このピンクが好きー、ピンクって私のパーソナルカラーなんだー、こないだ診断してもらったー」「私、昨日彼氏にフラれた、もうだめ、今日は仕事で出来ないから、あとはよろしく...」
(こんな人、皆さんも一人くらいは出会ったことがあるんじゃないですか?)
少しうざいけど、どこか憎めない、親近感が持てる、そんな感じを持ちませんか?

ダブルメッセージで困る人はこういう人をモデルにすると良いですね。
「聞かれたら答える」スタイルではなくて「話したいことを話す」
相手がどう思うか、考えて話すことは大事なことかもしれませんが、そもそも相手がどう思うかなんて、こちらが勝手に想像するだけで、反応なんて話してみないとわからないことばかりです。気にしすぎると、結果何も話せなくなります。あなたが何も話さないとあなたのことを知る人がいなくなってしまいます。それが慢性化すると、誰もわかってくれない、何か間違っている、周囲の人、社会、世の中を恨むようになり、孤独が深まっていくことへも繋がっていきます。

サチさんの「ふとした気づき」とは、このどちらの方向に進むのか、方向を示してくれたのではないでしょうか?

勝手な伊藤の想像ですがお母様も、今のサチさんと同じように聞き役だったのではないでしょうか? 何かの理由で聞くばかりになり、そのことに疲れた...そしてサチさんの前だけは自分のお話が出来たのでは? おそらくですが、お母様もサチさんも、本質的には「良く話す人」なんだと思います。 だからこそ、ご自分のお話が出来ず、聞き手ばかりの状況に悩まされるのだと思います。

仕事や友達付き合いの人達、ご主人、お母様・・・どなたから始められても構いません。

まずは「私の好きな○○」を知ってもらおう、というお気持ちで話かけられると良いと思います。

回答は以上です。

ご相談、ありがとうございました。

PIONT

被害者意識というのは「自分の中の満たされない気持ち」が強まって、私ばかりやっている、みたいに他者と比べてしまうことから刺激され、大きくなっていきます。 「他者と比べる」これがよろしくないんですね。 サチさんはそれを「自分が聞いてって言えていない」とふと感じることが出来、さらに言えるようになると「世界が開ける」とまで感じれたわけですね。 この「ふと」も偶然ではないと伊藤は思うのです。サチさんが被害者意識から「抜け出したい!と素直な気持ち(心が開いた)になれていた」から、ふと「私が・・・世界が開ける」というイメージが入ってきたのだと思います。そしてそのふと入ってきたものに対しても蓋をせず、拒否せず「これはなんだろ?」と恐れより、何か(ポジティブなもの)を信じようとする気持ちが勝ったことにとても価値があるように思います。

この回答、参考になったよー、もっと詳しく聞きたいと思われる方がいましたら、コメントのご記入やご感想を「お問い合わせ」より、お送り下さいね。 私も伊藤の意見を聞いてみたい!と思われた方はカウンセリング・回答サービスのお申し込みをお願いしますね。

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